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ビズ・フランス編集長ブログ

『BisouFranceビズ・フランス』の編集長、江草由香がつれづれなるままに書く、パリ達人ブログ

フランス人的?大晦日・元旦の過ごし方

あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

大晦日から2泊3日で、夫の中・高校の同級生アレクシーとその妻イザベルが、大聖堂で有名なシャルトルから20キロくらいのところにある貸別荘に招待してくれた。大晦日の夕方4時過ぎに家を出て、2時間半ほどかかって着いたその貸別荘は、畑の真ん中にぽつんと立っていて、住所が郵便番号、村名の後に“畑40番地”とあった。39番地や41番地っていうのはきっと家じゃなくて、畑の番号なのだろう。

招待の名目は大晦日+アレクシーの50歳の誕生パーティ、ただ、誕生日は4月2日だというからほとんど、こじつけ。10年前の4月に、リヨン近くの貸別荘で、アレクシーの40歳の誕生パーティをイザベルが企画し、私たちと、当時独身だったアーノルド、ヴァンサンという二人の同級生仲間が招待された。今回も同じメンバーで、アーノルドは奥さんと娘二人を連れて来ることに。ところが相変わらず独身のヴァンサンは間際になって、両親と兄弟が彼のために誕生パーティを1月1日(彼の本当の誕生日)に、準備していたことが分かり、来られなくなった。それで、代わりにアーノルドの独身のお姉さんサブリナが参加することに。

シャルトルジット
(農家をリフォームした貸別荘)

アレクシーが前日に電話してきて、「アーノルドの娘は6歳と8歳で、二人とも日本のアニメが好きだから、日仏ハーフの男の子が来ると聞いて喜んでいるらしい」!息子と同じ年頃の子どもが来ると聞き、安心すると同時に不安になる。発達障害の息子のことだ、二人とは交わらず、自分の世界に閉じこもってしまうのでは?または、女の子たちに「この子、変!」とか言われて相手にしてもらえないのではないか?
息子には前もって、「女の子が二人来るよ、仲良くしてね」と言い聞かせながらも、一人になっても退屈しないように、ドラえもんのマンガ1冊と、お絵描き道具を鞄に入れる。

さて、先に貸別荘に着いていた女の子二人を見つけると、息子は躊躇することなく、リュックから自作のすごろくを取り出して、「これ、やろうよ」と積極的に声をかける。ずいぶん成長したのだ、とうれしくなる。ところが、だいじな駒(女の子たちが喜びそうなアンパンマン、ドキンちゃんなどの人形)を忘れ、ミニカーで代用。女の子たちはけげんそうな顔をしながらも、さいころをふり、息子が駒を進めてあげている。なんせ、日本語で“ふりだしにもどる”とか“一回休み”と息子のへたな字で書いてある。思わず、「ちゃんとフランス語で説明してあげてね」とささやくと、「分かってる!」と息子はむっとする。
結局は、3人で仲良くごはんを食べ、その後もかくれんぼしたり、お絵描きをしたり。息子が妹ちゃんに押されて転び、大泣きするハプニングもあったが、ちゃんとフランス語で会話し、ずっと一緒に過ごしていた。

シャルトルブランコ
(寒空の中を元気に遊ぶ、子どもたち)

 さて、大人の方はというと、大晦日のパーティは夜8時頃から始まり、まずはソファに座ってシャンペン片手におつまみを食べながら、おしゃべりが始まり、これが1時間くらい続く。次にテーブルに移って、フォワグラ。ワインはフォアグラにお決まりのソーテルヌではなく、別の甘口ワイン(ワインには詳しくないので、名前は知らん)。次にイザベルお手製、魚のテリーヌに白ワイン。実はテリーヌを食べている間に0時を過ぎてしまった。普通なら、カウントダウンして、0時ちょうどに、みんなで「新年おめでとう」と頬にキスをしあうのだが、テレビもラジオもつけていなかったので、0時半頃に、「あれ、0時過ぎてる」と誰かが言ったが、そのまま、おしゃべりが続いた。そしてシカ肉、去勢鶏肉に赤ワインと続き、チーズとともにさらに別の赤ワインが出て、最後にデザートに洋ナシのクランベリーとろうそくの立ったチョコレートケーキが出てきた時には2時を回っていた。
 そこで、アレクシーに誕生プレゼントを渡し、デザートを食べ終わった時には3時。明日の朝は胃がもたれるだろうな、と思っていたら、アレクシーがウォッカの壜を出して来て、「抜群の消化効果があるから」。お酒に弱い私も、スプーン一杯程度をすする。すでに半分眠っていた私は、そこで寝室に引き下がる。夫たちは、昔話で盛り上がり、朝、5時半まで起きていたそうだ。

 元旦の朝、気づいたら、11時近く。ウォッカの威力は素晴らしく、胃もたれもなく、すでに空腹感が。夫、子どもを部屋に残したまま、一人でリヴィングに行くと、テーブルにはコーヒーカップやパンが並び、やはり前夜(というか朝)に早めに退散したアーノルドの奥さん、ミュリエルが一人本を読んでいた。一緒にコーヒーを飲んでパンを食べ始めると、一人二人と次々に起き出して来て、また、そこでおしゃべりが始まる。
 
フランスでは、こういう集まりの時に、みんながおしゃべりしているところで、誰かが本や雑誌を広げて一人読み始めたり、ふいに庭に出たりしても、誰も「和を乱す」と気にしたりしない、私なんか、1時間ほど、寝室に引き下がって昼寝までしたし。

15時頃に遅い昼食で、生ガキを食べ始め、白ワインを飲み、その後、イザベル手製のチョコレート・パウンドケーキ、うちの夫がパリのトルコ街で買ってきた、トルコのお菓子ルクム、バクラバを食べながら、お茶を飲む。というのも夫たちは学生時代にバックパックで一緒にトルコを旅した仲間なのだ。その思い出話に、再び花が咲く。
 
食事はホストであるアレクシーとイザベルが作るが、各人が、お皿を運んだり、野菜を切ったり、汚れたお皿を食器洗い機に並べたり、と手伝いをする。男性軍も皿を並べたり、パンを切ったりを当り前のように手伝っていた。日本でも正月三が日は、こんな感じで親戚や知人が集まり、おせちを囲んで飲んだり食べたりしているだろうけど、私の子どもの頃の記憶では、女性群が食事を作って運び、後片付けもし、男たちは座りっぱなしで、飲み食いしていたような。最近は日本の男性も変わったかもしれないが。

 元旦は一日中、天気がよかったが、恐ろしく寒かった。窓から隣の放牧場にいる馬や牛が見えたが、あまりの寒さに誰も散歩に出たがらず、子どもたちが庭のブランコで遊んだり、馬をなでたりした程度。
 一日中、運動もせず、家にこもっていたにもかかわらず、夜10時近くにまた、みんなテーブルにつき(誰も、夕食はけっこう、などとは言わない)、オムレツと昨日の残りのシカ肉、チーズ、ケーキ類を食べ、この日は昨晩の睡眠不足も手伝って、1時前にはみんな床に就く。

最終日はみんな早起きで、10時には食卓に着き、その後、荷づくりにかかり、12時に鮭のカルボナーラ・スパゲッティを食べ、アーノルド一家とサブリナをシャルトルの駅へ車で送り、私たちもそこから帰路に着く。

食って飲んで、おしゃべりして、寝ただけの2泊3日であったが、くつろげて楽しかったし、女の子たちが息子と仲良く遊んでくれたのも、うれしかった。発達障害のことは言わず、最後にイザベルも、「子どもたち3人、気が合っていたみたいね。」
今年はこの調子で、学校でも他の子どもたちとコミュニケーションできるようになることを願うばかりだ。
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Comments







非公開コメント
楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
ウオッカが消化促進にいいとは知りませんでした。学生時代ウオッカで悪酔いしたことぐらいしか記憶にありません。
2010-01-05-10:34 ushizaka
[ 返信 ]
No title
ushizakaさん、
あけましておめでとうございます。

40度もあるお酒ですから、飲み方によっては悪酔いしますよね。このときは、他のフランス人も、食事の最後にグラスいっぱい、って食後酒のかわりに飲んでいました。
2010-01-11-05:29 江草
[ 返信 ]