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住みたいと思うほど気に入った、北海道旅行記 前篇

フランス人の夫と結婚して以来、2年おきに日本を旅行している。最初は、京都・奈良(定番!)、その次は、鎌倉・日光、続いて、山陽・四国。息子が生れてからは、親子3人で、東北、続いて九州、さらに沖縄に。それで、今年は北海道に行くことにしたのだ。夏の日本は暑いから涼しいところに行きたい、という夫の要望もあったし。
 それで、結論(?)から言うと、沖縄には二度行って、ちっとも魅かれなかったが(ハマる人、多いですよね)、私は、北海道がおおいに気に入り、日本完全帰国の際には、住もうかと、考え始めたほどである。

 7月のちょうど真ん中、死ぬほど暑い東京駅で新幹線に乗り、新青森で、スーパー白鳥に乗って、函館へ。本当は船で行きたかったのだが(『函館の女』や『津軽海峡冬景色』のイメージ)、青函連絡船って、とうの昔になくなっていたのだ。

函館駅では、足圧式リンパドレナージュ(整流道)の施術士、けいこさんがお母さまとともに出迎えてくれる。けいこさんは去年まで2年ほどパリに住んでいて、よくマッサージをお願いしていたのだ。今でも時々、フランスにいらっしゃるが、今後は、この整流道をヨーロッパに広めるべく、パリで、養成講座を開くことを計画されている。さて、けいこさんに五稜郭に連れて行ってもらい、一緒にタワーに上り、ソフトクリームを食べ、その後、城内を散策する。
五稜郭、函館戦争と言えば、山田太一の『獅子の時代』を思い出す、NHK大河ドラマで私が唯一、全編通して観た作品で、山田作品の傑作の一つだと思う。(主演は菅原文太で、挿入歌、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギバンドの“Our history again”がいいんだよ。ピアノのイントロがかっこよくて耳コピしたし、ギターソロがストレートで、“日々の暮らしは晴れた日ばかりじゃないが、明日が雲間に見え隠れ”って歌詞が当時、高校生だった私に染みたのだ)。


夜はラーメン(北海道と言えばラーメン!)を食べて、バスで函館山に100万ドルの夜景を観に行くも、ひどい霧であった。夫と日本を旅行すると天気に恵まれない時が多い。

翌日は、朝市に出かけ、日高昆布を買い、ベイエリアを散策し、定番、海鮮丼を食べる。その後、レンタカーを借りて、登別温泉へ向かう。途中、洞爺湖の湖畔に車を止めた頃は天気がよく、湖が実に美しかったのだが、登別に着いた頃は大雨。メインの温泉街から離れた露天風呂のある宿を予約していたが、夜も小雨が降り続き、風呂から満天の星空を見る夢は果たせず。周りに宿がなく、他の泊まり客もいない様子で、夜は恐ろしく静かだった。
朝食の後、宿の温泉に浸かってから、地獄谷温泉を観に行く。登別ではクマ牧場が有名らしいが、11歳の息子は興味を持たず、白老のアイヌ民族館ポロトコタンへ(こっちは夫が興味を持った)。ただ、ここでも息子はスタンプ&ラリークイズをさっさと終えると退屈してしまい、美しいポロト湖に向かって、小石投げを始めた。その間に、私と夫はアイヌの舞踊公演を見学したのだが、その時に使われたのが、子どもの頃観ていた、NHK(がまた出てくるけど、回し者ではありません)ドラマ『天下御免』(山口崇演じる平賀源内が主役のコメディドラマ)の1エピソードで、アイヌ人女性が奏でていたムックリという名前の口琴。実物を見たうれしさで、思わず1つ買ってしまった、500円なり。ちなみに、『天下御免』の脚本は、井上ひさしだとずっと思いこんでいたが、ウィキでチェックしたら、早坂暁だった。また、源内が助けたアイヌ首長シャクシャインを演じていたのは、片岡孝夫であることも発見。雪で湿って使えなくなった、弾丸をスルメか干し魚の上にのせてあぶって乾かす、まじめなような、ふざけたようなシーンがあった記憶が。
ショップで、串田孫一の『北海道の旅』と萱野茂の『アイヌの昔話』を購入。
有名な白老牛のステーキをカントリー調ログハウスのレストラン(ジョン・ウェインの写真が飾ってあった)で堪能してから、札幌へ向かう。
途中、支笏湖に寄り、アイスクリームを食べながら、湖を眺める。天気がよかったので絶景。

札幌では、中心地のビジネスホテルに泊まる。オペラのギャラリーとジャパンエキスポで北海道アーティスト展をプロデュースしたAT-PLAN社代表取締役の台氏と待ち合わせて、カニ食べ放題の店、“えびかに合戦”に行くも満席で入れず、で居酒屋に。ここで海の幸をたらふく食べ、海モノがイクラ以外は一切食べられない息子は、鶏のからあげ(北海道ではザンギと呼ぶ)とフライドポテト(北海道のじゃがいもだあ~)に満足。

札幌

 札幌二日目は台氏が午後から東京出張の忙しい身にもかかわらず、名所を案内してくれる(感謝!)。時計台、赤レンガ庁舎、そして台氏の母校、北大。広いキャンパス内を学生たちは自転車で移動している(ってことは先生も?)。学食でランチするが(日本の学食なんて何十年ぶり?)メニューが実に豊富。カウンターでの注文の他に、定食屋みたいに、おひたし、煮物、納豆などの小鉢類も種類が多い。息子は麻婆豆腐と納豆と大盛りご飯を注文。私もつられて麻婆豆腐と小盛りごはんに青菜のおひたし、あんころもちを食べる。これなら、一人暮らしの学生も、栄養が偏らない食事ができるだろう、まあ、どのメニュー(何の小鉢)を選ぶか、が問題だけど。
構内のおしゃれなカフェで台氏と仕事の打ち合わせをした後に別れ、夫と子どもと一緒に大通り公園を散歩しながら、ソフトクリームを食べる。天気がよくて、日差しが強く、温度は高いが、東京のように蒸し暑くない。空気がカラっとしたヨーロッパのような気候なのだ。さぞや夫も北海道が気に入っただろうと思いきや、「食べ物はおいしいけど、神社仏閣がないからつまらない」。・・確かに異国情緒を求める外国人観光客には不向きか。ビックカメラとユニクロに寄って、ホテルに戻って昼寝をした後に、夫の強い(!)希望で、昨日、行きそびれた、“えびかに合戦”に。私は食べ放題が苦手なのだ、食べるのが遅いし、そもそも食事はゆっくり味わって食べ愛し、小食なので元が取れないのは分かっているし。店員に息子は、エビ、カニ類が一切食べられない旨を伝えて(若い女の店員が上司に何か言われたらしく2度も確認に来た)、イクラ丼を注文し、夫と私は、カニ3種と小えびの天麩羅、えび・かに・えび天握り、茶碗蒸しが食べ放題のコースを注文する。
 お腹一杯になって、夜のすすき野を歩いていると、なんか東京と変わらないじゃん、という気がする。大都会、少し離れると大自然、って理想的だ。住むとしたら、やはり札幌か・・。

初めて利用した、ドバイ経由のエミレーツ航空

5月20日から9日間、日本に一人で帰国。この時期、飛行機は混んでいないだろうな、なんて勝手に思い込んでいて、さらに4月の火山騒ぎもあったので、5月に入ってから、パリの旅行代理店に行ったところ、ANA,JALはもちろん、大韓やルフトハンザもすでに満席で慌てた。フランスの旅行サイトOPODで検索し、希望する日(往復とも)に空席があって、一番安かったのがエミレーツだった(この時期はアエロフロートよりも安かったし)。
行き19時間(ドバイで約3時間待ち)、帰り23時間(ドバイで約4時間待ち)っていうのはつらいが、手荷物が30キロまでOKというのは、魅力的である。

日本への帰国当日、パリのチェック・インカウンターはガラガラで、ドバイまでの機内では、3人席を一人でのびのび使えた。また、スチュワートが妙に感じよくて、客一人一人にこんなに愛想よくしていたら、疲れないかな、と心配になるほど。それとも乗客数が少ないので、この日は特別だったのか?夕食に選んだマトンカレーはおいしかったし、映画チャンネルに日本語吹き替え版はもちろん、邦画まであった。音楽チャンネルも充実していて、ミュージシャン別メニューはヒットパレードなんぞではなく、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、ボブ・ディランなどなどの複数のアルバムが全曲通して聴ける。スチュワートに勧められたワインを飲みながら、『20世紀少年 最終章』、『アマルフィー女神の報酬—』を見て、デヴィッド・ボウイの『ハンキー・ドーリー』、ツェッペリンの4などを聴いていたら、あっと言う間にドバイに着いた。

待ち時間が3時間半もあり、免税店や土産物屋を覗くも、ブランド品や宝飾品はもともと興味がないし、チョコレートなんか、フランス製の方がずっとおいしそうだ。ピスタチオが売っていたが、フランスのスーパーの方がずっと安いし・・。ミントティが飲める店がないかな、と探したが、マクドナルドやスタバ、ハーゲンダッツがあるばかりで、カフェらしきものが見つからなかった。
ドバイから成田に向かう便はJALとの共同便で、お客の大半が日本人(ツアー客らしき中年層が多かった)、軽食にはおそばが出た。客室乗務員はなぜか大半が女性で、忙しいからか、ドバイまでの機内のスチュワートたちほどには感じがよくなかった。


 さて、行きよりも時間のかかるパリに向かう便は、成田―ドバイはほぼ、満席。夕食は肉料理を頼んだのに、魚料理を出される(隣のムッシューも同様であったが、文句を言わずに食べていた)。ドバイでは、機内持ち込み荷物が重かったし、眠かったので、搭乗口前のベンチで本を読みながらうとうとする。パリ行き便、搭乗手続きのところで、男性係員がパスポートを見て笑いながら、「ユカサン?コンニチハ」。どうも、スチュワートをはじめ、男性社員が感じいいのだな、エミレーツは。
ドバイーパリ便の機内は中国人(かな?)の若いカップルがたくさん乗っていて、膝枕したり、指圧しあったり、とやたらべたべたしていた(新婚旅行ツアーか?)。到着直前に出たタンドリー・チキンのサンドウィッチはそれまでの食事に比べるとマトンカレー以来のおいしさであった。
イスラム系の航空会社を利用したのは初めてだけど、このエミレーツってけっこう評判がいいらしい。料金は安いし、サービスも悪くないし、食事もマトンカレーとタンドリーチキン・サンドウィッチはまた食べたい、と思えるほど。ただ、直行便に慣れた身にとっては特に帰りの成田―パリ23時間は、つらかった。年のせいもあるだろうけど。

ところが、いつもなら、日本から戻って来た後は時差ボケで数日間は朝の5時頃に目が覚めていたのが、今回は、戻って来たその日からちゃんと7時までぐっすり。翌日も0時に寝付いて7時に目が覚める、という通常の睡眠サイクルになっていた。滞在期間が短かったこともあるけれど、ひょっとして23時間飛行の疲れが、体にうまく作用した、ってことかも。

日本の小学校への体験入学~後編~

 登校初日の午後に、たまたま、1年生の親子懇親会が行われ、夫と参加する。体育館で親子一緒に、玉入れなどのゲームをやったり、子どもたちがダンスしたり、歌を歌ったりする様子を見たり。月曜の午後なのに、ほとんどのお母さんが参加していたのに少し驚く。というのも、フランスは女性の就業率が高いので、学校の親参加の集まりはたいてい土曜日に行われる。後から友人に聞いたら、それでもたぶん、半数くらいのお母さんは仕事(パートが多いそうだが)をしていて、休みをもらって来たのだろう、とのことだった。また、お父さんの参加がたった一人(夫の他にもう一人)、というのも日本ならでは、という気がした。ちなみに息子はダンス、歌はもちろんのこと(知らない踊り、歌だったし)、ゲームもほとんど参加せず見ていた。

 懇親会の後、お母さんたちが残り、教室で担任の先生が入学式から今日までの子どもたちの様子の変化を写真のスライドを見せながら、報告する。いつもデジカメを持って、子どもたちの姿をきちんと記録する、まめな先生で、確か入学式からの約3カ月で500枚くらい写真を撮ったと仰っていた。登校初日にも関わらず、うちの子がクラスメイトと輪になって国語の教科書を広げている写真もあって、感激。ただ、教室に入る直前に息子のその日の様子を先生に尋ねた時には、「給食の時に箸を振り回したので、叱ったら、怒ってしまいました」と言われたのだが。
その日、ウィークリー・マンションに戻って、「学校どうだった?」と聞いたら、うれしそうに「給食にごはんとお味噌汁が出たよ!」とケロリとしていた。

 翌朝、子どもを学校へ送って行き、それから仕事の営業回りに出かけようと準備をしていると、校長から電話が入り、「今日の午前中のプールの授業に付き添ってください、昨日はずいぶん、興奮状態にあったみたいなので、何かあったら困りますから」。仕事のアポは30分後にせまっており、しかも夫が「今日は何もないだろ?ちょっと浅草まで行って来る(夫は浅草が大のお気に入り)」と出た後だった。何で昨日のうちに言ってくれなかったのだろう?日本のお母さんたちは子どもの学校最優先で、学校の要請があれば、緊急時じゃなくてもすぐに学校に駆け付けるのが当たり前なのかな?と思いながら、「これから大事な仕事の約束があって・・、それにうちの息子はフランスでもプールの時間だけはきちんと他の子と同じことをしますから」と言うと、「ここはフランスじゃありません!」と一喝される。プールに日本もフランスもそんなに違いはないと思うが、この不況でたいへんな時に大事な仕事のアポを断れるか!と「それなら今日は見学させてください」と電話を切る。結局、その日は夫が迎えに行き、先生とは話が出来なかったが、息子はうれしそうに「プールに入った。シャワーに虹が出てたよ」。
 後でその話を姉にすると、「あんたは無理に頼んで自分の子どもを預かってもらっている立場なんだから、それはないでしょう」と説教される。確かに、学校、先生としては、正規の入学ではない生徒(書類上は転入生だけど)を預かり、その分責任もあるわけで、はっきり言って仕事が増えるだけだよね。では、外国からの体験入学者を受け入れることの学校側の受け入れメリットは?と考えると、「フランスの子どもたちは~、フランスの学校では~」というような、日本に住んでいては分からない異文化の様子を聞かせてもらえることを期待しているのだろう。うちの息子がそんなことを話すとは思えないし、確かに迷惑の部分が(特にうちの場合は)圧倒的に多いんだよなぁ、とちょっぴり、反省する。

 息子は「今日、学校で何したの?」と聞いても、「勉強した」、「給食、食べた」くらいしか話さない。高校時代の友人の二男Iくんが同じクラスにいて、よくしゃべる子だったので、その子を通じて、息子の様子を聞き出したり、後は迎えに行った時に先生をつかまえて話を伺ったり。
一度、「今日、英語の授業があったのですが、何でフランス語じゃないの?と怒ってkenくんは参加しませんでした」と言われたことがあり、これには夫が「息子の言うことはもっともだ!」と愛国心、剥き出し。国際語=フランス語だと信じているフランス人は少なくないのである。
 
 一週目最後の日の、金曜日。何とか大きなトラブルも起こさずに通学しているな、と安心していた矢先のこと。夕方、美術評論家で、美術イベントのオーガナイザーでもあるYさんと打ち合わせをしていた時に担任の先生から電話があり、息子がクラスメイトの男の子の顔を蹴った!と言われる。幸い、打ちみ程度で、大事には至らなかったそうだが、これには私も平謝りで、「向こうの親御さんにお詫びに行った方がいいでしょうか?」。その必要はない、と先生は仰る。また、状況を確認すると、二人組になってお互い質問をしあう、という授業内容で、その子が「次はkenくんが僕に聞いて!」と言ったら、突然蹴ったという。・・ひょっとして「僕を蹴って!」と聞き間違えたか??電話のやり取りを聞いていたY氏(小学生の息子さんが一人いる)は一言「何だか、大変そうですねぇ」。
ウィークリー・マンションに戻って、息子に問いただすと、うつむいて一言、「僕が悪いの」。「理由があったんでしょ?」と聞いても、「僕が悪い!」。こう言われてはこちらも先が続けられない。

 一週目は「学校はちょっと楽しい」と言っていたが、二週目に入ると「ちょっとつまんない」に変わる。プールの前日に「付き添いましょうか?」と、「必要ありませんよ」と言ってもらえることを期待しながら尋ねてみると、「それでは、お願いしますね」と言われてしまう。「前回は問題なかったんですよね?」と確認すると、「問題はなかったんですけど、念のため、副校長が付き添ったんです」。そう言われれば、行かざるを得ない。その週、夫は一人で大津まで剣道の修行のため赴いていたのだ。営業のアポを取っていた会社が運よく隣駅にあったので、アポの時間を朝の10時から9時に変更してもらい、1時間ほどで話を終え、太陽のぎらぎらする中をダッシュで学校に向かった。
登校前に体温を測るのを忘れていたので、保健室に息子を連れて行く。ついでに、クラスメイトを蹴った事件の時にお世話になった、保健の先生にお詫びをする。事件の後、息子は保健室で給食を一人で食べていた、とIくんから知らされていたので、隔離されたのか?と気になっていたのだが、「時々、クールダウンにここに来ていますよ」と言われる。温かい感じの先生なので、教室で気に入らないことがあると、保健室に駆け込んでいたらしい。そういえば、フランスの学校って保健室がないよな、と気づく。

子どもが学校にいる間、いつ担任から電話が来るか、とひやひやしながらも2週目は何事もなく過ぎて行き、Iくんも「kenちゃん、今日はいい子だったよ」と言う日が続く。

息子の登校最終日は1学期の最後の日でもあり、御礼(お詫び?)に名菓ひよ子を持って行くと、担任の先生はかなり疲れた顔をされていて(息子のせいだけではないと思うが)、ほとんど話もできず、また来年も来てくださいね、とはもちろん、言われなかった。
最後に、クラスメイト一人一人が書いた絵入りの手紙を文集のようにまとめたものを渡される。『いっしょにあそんでくれてありがとう』、『また遊びに来てね』、『フランスでがんばってね』という言葉が並び、これにはじーんと来た。

文集
(クラスメイトからの言葉が寄せられた文集)

その日は池袋で、友人と待ち合わせをしていたが、その前に約束通り、東武のおもちゃ売り場に行くと、息子はレゴ・シティの白バイパトロール(500円なり)を一つ選ぶ。親の懐具合に気遣う孝行息子なのだ。ただ、買い物の後、一言、「学校は嫌いだからもう行かない」。レゴ・シティのために我慢して通っていたのだろうか。

ところが、フランスに戻ると、息子はさっそく、ホースから七色の虹が出ている絵を描き、まもなく、「2010年は日本の学校で2年生になる!」とまで言い出した。我が家は2年に1度しか帰国しないし、今回の学校に再び体験入学を頼む勇気はない。ひょっとして、最初で最後の日本の学校への入学経験かもしれないが、少しでも楽しかったことが思い出として心に残ってくれれば幸いである。

日本の小学校への体験入学~前編~

 日本帰国について書くなら、この話題を避けて通るわけにはいくまい(と、誰に強制されているわけではないが)、この夏の帰省のメイン・イベントとも言える、息子の日本の小学校への体験入学。

 私の高校時代の友人の子ども(次男がうちの子と同じ年)が通う、品川区の小学校へ7月の2週間、息子を通わせることになった。フランスの学校は7月あたまから夏休みなので、6月末から7月頭に帰省して、日本の学校が夏休みに入るまでの2~3週間の間、子どもを体験入学させる、という日仏家族が少なくないのだ。この品川区の小学校は私の姉の家からも遠くない、ということもあり、区の教育委員会とコンタクトを取り、友人から校長先生に話を通してもらい、無事、入学許可をいただいた。

 息子はこの4月から進研ゼミ小学講座『ちゃれんじ1年生』の通信講座を受けていて、教材のDVDで日本の小学校の様子が紹介されていたり、紙製のランドセルの付録がついていたりで、「日本の学校、行きたい」、「ランドセルほしい」と繰り返していたのだ。

すでに書いたように、うちの息子は発達障害の疑いがあり、フランスで療育センターに通っている。ただ、読み書き算数は日仏語ともよくできて、週一回通っている日本語補習校の先生に体験入学のことを話したら、「1年生の漢字と計算は完璧だし、最近は態度も落ち着いてきたから大丈夫でしょう」と太鼓判を押していただいた。また、日本でも発達障害の子どもが増え(教室で床に寝てしまう子、落ち着きなく授業中に廊下に出るような子がたくさんいるなどという、まことしやかな話も耳にしたし)、フランスに比べて支援もしっかりしているらしい(発達障害支援法もできたし)と聞いていたのだ。・・なんて、実は自分に都合のいい情報だけを頭にインプットしていたのかもしれない、と日本に行って、気づくのだが。

成田に着いた翌日、フランスでは体験したことにない蒸し暑さの中を、電車を乗り継いで教育委員会に行き、受け取った書類を持って入学先の小学校に向かった。ちょうど時差ボケの一番つらい14時頃、校長室に通されると、ぐったりとした息子は突然、いすを二つ並べ、横になってしまう。そこにミニスカートをはいた女性の(当然)校長がにこにこしながら近づき「こんにちは」。それに対して息子は「邪魔だ!」と怒鳴ってしまい、副校長(男性)、担任の女の先生(私と同じくらいの年齢か少し上か?)の顔がひきつる。「時差ボケが一番つらい時で・・、私も頭がふらふらで」と慌てて言い訳する。実はこの時、「邪魔だ」と言いながら、校長先生を蹴とばしていたことを(私のいた位地からは死角で見えなかった)、その時同行した姉から後で聞いて、ぞっとする。
 友人には、その日に会って、発達障害の話をすると、「うちの学校は他の区から越境通学する子もいるような評判のいい学校で、発達障害の子の話なんて聞いたこともない」と言われる。発達障害を素行不良のように扱われ、戸惑うも、じゃ、発達障害児が日本で増えている、っていうのは私の希望的(?)観測と、不安になった。

 息子は書類提出をした翌週から、通学することになっていた。その前に、まずは剣道具屋に防具の注文に行き、その後、神奈川の実家への里帰りし、それから伊豆白浜で数日間のんびりすることになっていたのだ。

“蹴り”の翌日は剣道具屋に行くついでに、池袋で買い物をした。東武のユニクロを見ている間、息子はパパに連れられて隣のおもちゃ売り場に。買物を済ませ、私が二人に合流した時、息子はウィンドゥに飾ってあったレゴ・シティの警察シリーズにうっとりと見入っていた。そこで、一計・・、「7月6日からの2週間、学校でいい子にしていたら、17日にレゴ・シティを買ってあげる」と息子に告げる。息子は小さい頃から数字に異常なほど関心を示し、数字と関連させると物事を把握、記憶しやすい性質がある。例えば、一度遊びに行った友達、親戚の家は全て番地を記憶し「○○番地の家」と呼ぶ。レゴ発言に夫は眉をひそめ「警察シリーズはトータルで3万円って書いてあったぞ!」。シリーズのうち、警察ヘリコプターと護送車は去年のクリスマスに義兄から、警察トラックも去年の誕生日に義母からすでにプレゼントされていた。しかし、一番高い警察署本体は持っておらず、これが1万6千円もする。・・ご褒美には、ちと高い。
 
 翌週の月曜日、姉からプレゼントされた黒いランドセルを背負って息子は学校に向かうも、いざ、校舎に入ると、緊張で顔が硬直し、「学校は嫌だ!」。親としては1日だけでも授業を受けさせて、どうしても無理なら止めればいい、という腹積もりであったが、それを本人に言ってしまうと、これ幸い!と1日で止めかねないので、「2週間、ちゃんと学校でいい子にしていたら、レゴ・シティでしょ」とモノでつる。
教室に入った息子の様子を後ろのドアから夫と、ドキドキしながら見守る。その日はもう一人、アメリカからの転校生がいた。駐在員家庭の子弟らしい、利発そうな日本人の男の子だ。その子と二人で息子が黒板の前に立ち、まずは自分の名前を名乗る。「どこから来ましたか?」の質問に、転校生君は「アメリカです!」とハキハキ答え、息子はもじもじしながら、「日本です」(・・確かに、すでに1週間日本に滞在しているが)、好きな色は?「紫です」とおしゃれな転校生君、「青です」と無難な息子。好きなものは?の質問に「自動車と電車です」と模範解答の転校生君、息子はためらいなく「レゴ・シティです」。すると「オレも!」、「オレもレゴ・シティ持ってるぞ!」とクラスの男の子たちから声が飛び交い、息子は得意げな様子に。

第一関門突破・・、と胸をなでおろし、夫と二人で学校を後にしたのであった。

小学校入学

(懐かしの黄色い帽子)

不況時は本が売れる?

不況の影響とさらに個人的に中殺界のせいか、仕事が来ない。おかげで、あまり本など読まない私が今年はぼちぼち読書をしている。それで、日本帰国の際にもまずはBOOK・OFFに行き本を買い込み(ってほどの量でもないが)、それからアマゾンにも数冊注文した。昔、不況時は本が売れる、って聞いたことがあるけど、こういうことか。

 フランスに戻ると、ヴァカンス真っただ中の7月末、日本からの仕事の発注もなく、すぐに読み始めて、面白かったのが、以下の2冊。

『今日よりよい明日はない』玉村豊男
自分はグルメじゃないし、ワインも興味ないので、この人の書いたものは興味がなかったのだが、農業しながら、歯に衣着せぬ物言いのコラムを書いて(例えば、日本のグルメ番組批判で「高価な料理を」、「くだらないタレントたちが騒ぎながら食べ散らかしている」てな具合に)暮らす、半農半Xの理想形みたいな人生だな、と羨ましく読む。
巻末近くの“流木論”には、人の人生ってその通りだよな、としみじみ。「大海に漂いながら」、「思い描いていたイメージに近い流木が」流れてきたら、「それをうまくつか」む。わが身を振り返り、仕事が来ないと言っても慌てふためいてはいかん、水面にたゆたいながら、読書でもして、木が流れて来るのを気長に待てばいいのだ。(要するに自分から何か事を起こすのは面倒だし、今は何をやってもうまくいかない時、という気がしているのだ)。

『無境界家族』森巣博
日本で、大学のサークル仲間に会って、「うちの子、発達障害らしいんだけど、算数は得意なんだよね」と言ったら勧められた本。作者はプロの賭博師、オランダ人の妻は世界的に著名な人文社会系研究者、息子は元引きこもり、純粋数学の分野で類まれな才能を発揮し、15歳で大学に入り、20歳でカリフォルニア大の教員になり、その後、ヘッジファンドにスカウトされ、超高給取りに(うらやましい・・)。“歯に衣着せない”文章は 玉村豊男の比ではなく、渡部昇一、小林よしのり、江藤淳等(傾向、分かりやすい)の「国民主義者」や「日本文化主義者」を「「突出したあほども」と呼べばよい一群」なんてけなしているが、そもそも、作者が国民主義、日本文化うんぬんを突き詰めて考えるようになった契機が、ハーフ(本書では「ダブル」と息子自身が表現)で適応障害(っていうのも分からん定義だ)の息子を持ったこと。ハーフで適応障害、ってうちの息子と一緒じゃん、で、親の問題意識が高いと、そんな子どもが高給取りになる?なんて夢を見てはいけない。所詮は、持って生まれた素質に大きく左右されるのだ。これは健常児(って言葉は嫌いだが)でも発達障害児でも同じことだ。
 さて、作者によると博打にも長いスランプ時期があり、この時はいい“流れ”が来るのを待ちながら“死んだふり”をするのがいいそうだ。なるほど、仕事が来ない間は、変に企画書なんか作成したりせず、何もしないのがいいのだ、と全て自分の現状に照らし合わせながら考える。まあ、読書ってそういうものだろう。

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プロフィール

江草由香

Author:江草由香
編集者・ライター・コーディネーター。
96年に渡仏し、99年から10年間パリ発日本語情報誌『Bisouビズ』の編集長を務め、同時に日本の雑誌やWebに情報記事、コラムなどを寄稿。
2010年に日仏バイリンガルサイト『BisouJaponビズ・ジャポン』を立ち上げ、ジャパン・エキスポなどパリで行われる見本市で、日本企業や日本人クリエーターの出展をプロデュース、展示会の企画コーディネートの仕事を始める。
2018年に22年間のパリ滞在にピリオドを打ち、日本に帰国。

『BisouFranceビズ・フランス』
https://www.bisoufrance.com/

個人ブログ『湘南二宮時々パリ』
http://ninomiyaparis.blog.fc2.com/

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